徒然

最近わかったこととして、一日に書けるコード量には限界があって、それを超えると思考がぐちゃぐちゃになるということ。 昨日精進しすぎて、本番のABCでズタボロになるという経験をしたので、本日は昨日の解けなかった問題を復習&ACだけして、その他の活動をしようかと思った次第。 というわけで久しぶりにブログを書いています。

論理的思考の放棄 - 登 大遊 (Daiyuu Nobori) の個人日記 というブログをいんぐらむさんのツイッター経由で見て、ちょっと考えたことを書こうかと。
この人の言っている感覚的思考っていうのは論理的思考においては、一度計算したから飛ばして考えるという言い方になる。
だから、論理的思考の人と解釈は違いこそすれ、やっていることは(同じアーキテクチャで考えているため)同じナノだが、おそらくはこの方は一度計算するというような過程をすっ飛ばしている。一度も計算せず、さいしょからパッケージ化された知識を元にプログラミングしているため、もう一段上の段階でパーケージして考えられているのだと思う。計算しているものもあるのだろうが、おそらくはそういうスタンス。自分のように、動作を追ったことのないコードはいじらないというようなポリシーとは生きているところが違うんだと思う。

まぁ衝撃だったのである。感覚でコードを書ける人間が。因果逆転の呪いが如く、「コードが動く」という結果だけが残るというのが本当に英雄のような超能力のような、それを現実に出来ることが怖かったのである。

感情には後付でも理由がほしい。どこまでも論理的に現実が歪んでいるなら論理的に解きほぐす。どこが歪んでいるのかを論理で可視化する。それから修正する。本気で、今の現実のシステムが歪んでいるのは修正作業が追いついていないためだと思っている。そういうことで、まぁ柄にもなく感情的な文章でしたが、こんな感じで。

世の中の見え方は人それぞれという話とそれに改めて衝撃を受けたyakataの話